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2007年4月26日 (木)

惑星

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070425-00000154-jij-int

先生の言っていたことは、本当だ。
そうだよね。地球だけが特別じゃないよね。

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2007年4月25日 (水)

マスク

ジムキャリーのじゃないよ。

ピーター・ボグダノヴィッチ監督のです。頭蓋骨形成異常という奇病の少年の事実に基づくヒューマン映画ですが、昔見た記憶があったけど、エレファントマンと少し、混同してた。まったくトーンが違います。でも、両方実話ですね。

あらすじは書かないけど。

いい映画でした。最近の私が欲していた感じ。

日本の感性で作ったのなら、ありがちに涙を誘うか、うっとおしい道徳心か、はたまた救いようのない行き止まり映画に傾くかなのかもしれないけど、この映画は重い題材を扱っているのに、悲しみだけじゃない部分をいいバランスで配合されていて、見ていて好感がもてます。そこそこのリアル感も。人間って、こうだなぁと。少しづつうまくいかなくて、壊れていて、だけど、思いあっていて。奇形を扱ってはいるけど、それに頼りすぎてなくてちゃんと人間を描いているところが気持ちがよかった。

私は、障害者を特別扱いする感覚があまり好きではなく。それは実際に障害者を知らない人がそうするのではないかと思うわけで。もちろん、社会的保護は必要なのはわかるが、それと人間としての対応を変えるのとはまったく別と思うので。障害者だっていい人もそうでない人も、健常者と同じようにいるわけで。そういった意味で人間の部分で関わる人が好きです。

この映画にもそのような人がたくさん出てくる。逆に、主人公ロッキーの方が母親を支えている。取り巻きのアウトサイダーたちのキャラクターもいいです。一番の見所は、やっぱりロッキーのキャラクターだな。本当にかわいいです。人格って大切だなぁと当たり前のことをひしひしと感じます。

冷蔵庫のシーンが好き。こんな演出したい。日常で。

昔見た映画とか、今見ると別の所でひっかかったりする。前はわからなかった頃が、わかるようになるというか。本でもそう。新しいのも好きだけど、昔のものを結構、ひっぱりだしてます。最近は。温故知新で。

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2007年4月22日 (日)

宇宙論

久々に宇宙に戻ります。天文学の話を聞きに行く。

宇宙、地球、月、海の起源について。

あぁ、なんて素敵なんだろう。うっとりしてしまった。

詳細は、私の説明では、下手なので書きませんが。

宇宙を考えると、すごく安らぐ。私には専門的な知識も情熱もないけれど、それでも、自分がとどこから来たのか?という所にやっぱり突き当たるわけで、そういう漠然とした不安を、ちゃんと研究して、論理で研究している人がいるという素晴らしい事。

ここにいるのが当たり前と思っているけど、本当に?何が当たり前なの?教えてよ。って思うわけで。自分はなぜここにいるの?人間なの?地球なの?宇宙なの?って思いませんか?宇宙ってなに?時間ってなに?教えて教えてってなる。

よく言われる宇宙の果てや、時間との関係、次元のことなんかも気が遠くなるけれども、考えると、パニックを起こすけど、それは気持ちのいいパニックなのです。浮かんでいるような。

そんな事考えても、仕方ない、生活するのが先決だろうと、まぁ、確かに考えなくても生きていけるわけだけども、だけど、そういうところにまで心を置いて、真剣に向き合って研究いるということに感動。久しぶりにときめきました。

壮大すぎると言われるかもしれないけど、そう思うとそこで話は終わりで。壮大でいいじゃんか。と思う。人間の頭や心は果てしないとやはり思いたい。

先生の夢は第2の地球を見つけること。「皆さんが生きている間にたぶん、見つかります。それくらいまで、研究はきています。」と言っていた。素敵過ぎる☆先生、きっと見つけて!

「僕は宇宙が大好きなんです。月も海も大好きです」と普通に言ってのけるまぶしさ。キュンとするなぁ。

あぁ。宇宙。今も肥大している。私が死に向かっていても。あぁ、宇宙になりたい。http://www.nao.ac.jp/

http://www.miraikan.jst.go.jp/

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2007年4月19日 (木)

サンタクロースと子供

最近、あまりにもパーソナルなことばかり書いているので、ちょっと、息抜き。

これ見ると、かわいくって笑ってしまう。

サンタクロースを怖がっています。もしくは、浮かない表情の子供たち。かわいすぎです。

http://www.southflorida.com/events/sfl-scaredsanta,0,2245506.photogallery?coll=sfe-events-headlines&index=1

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無題

最近は、悲しいのに少し笑ってしまう感じと、嬉しいのに泣けてくるみたいな感じの感情をすごく書きたい。
泣き笑いと笑い泣き。なんかその感情が解け合っているのが、人間的だなぁと感じて。
悲しすぎて笑ってしまったりとか、笑ってるのになんか、気がついたら泣いていたとか。
感情が振り切れて少し、バランスがおかしくなってしまうか、もしくは、ちゃんと繋がっていて、ぶつかって繋がってそうなってしまう感じと。どちらの場合もあるのだろうけども。

笑っているのに泣いているみたいな人。
「平気」と言って、見たこともないような悲しい顔をした人。
なんか、そんな事がすごく胸に残っているので。

そういった意味で、これなんて、愛情感じる。ずっと、前から見てごらん。おかしくてかわいくて泣いてしまうから。

父さん、そのジャージ、僕のです。http://homepage.mac.com/shunsuketamura/papa/index.html

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主人公

まず、主人公。これは、いつもその時の精神状態に一番シンパシーがある年代と性別が勝手に浮かぶ。
これは、シナリオを書く特権かも。勝手に、誰にでもなれるから。あらゆる年代のあらゆる種類の人になりたいと思えばなれる。

今、乗り移ってるのは14歳男子か17歳女子だな。
14歳男子のモヤモヤした衝動と、未熟さ、危険さ、子供なのに挑戦的で、自分でもてあました感情と身体の発達のアンバランスさ、そしてバカ。その辺がシンパシー。
17歳女子は、残酷でドライで、でも一方で何かを信じたくて夢をみたくて、傷つけたり傷ついたりしてみたり、繕って、嘘ついて、泣けなくて、大人を嫌悪してたみたいな部分。

うーん、どっちかで行こうと思う。




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2007年4月17日 (火)

黒い雪

言葉に魅力を感じつつも、信用しているのは非言語的コミュニケーション。
この矛盾。この戦い。

だからこそ、言葉にならない感情を「言葉」という見えるものに変えたいといつも、やきもきする。すんごくやきもき。感情が大きければ大きいほど、言葉から遠ざかるから、「遠いよー」とふっとばされて、迷子になって、途方に暮れて、途中で行き倒れ。この変換するコンピューターが私のは、ポンコツなんだろう。結構、よく壊れます。

言葉にしないことで、深々と暗いものが胸につもってゆきます。黒い雪。雪を降ろしを時々しなければなりません。怠ると、黒い雪が氷になって、固まって冷たくなる。もう、感じない。

精神科の先生が言ってた。「言葉でなく行動に本音がある」と。
確かに。言葉は嘘をつける。否定しているんじゃなくて。
もちろん、言葉がないと困る。伝えることも、隠すことも守ることもできなくなるから。必要。でも、全部は信じてない。実は。
それでも何もないよりは不安だから言葉でも欲しくなりますけれどもね。それを支えにするために。すがるために。
でも、本当は行動にある。

すごく嫌なこと言ってても、かわいい人っている。逆に、すごく良いこと言ってても嘘っぽい人もいる。言っていることと逆に感じる「それ」は何だろうか。言葉がもつ逆の力。「平気」って言って、平気じゃない心。「嫌い」って言って本当は好きなこと、「ありがとう」って言われて、「思ってねーだろ?」って気持ち。(あれ?ひねくれてるか)なんか、その辺。おかしな例えだな。ちょっと、違います。言ってみたものの。

赤ちゃん、子供、動物は主に非言語的コミュニケーション。理想。そのままだから。
触る、見つめる、抱く。簡単。でも難しい。大人になったら。
時間。距離。体裁。羞恥。理性。秩序。なんか色々。とりまくもの。
時々、全部吹っ飛ばしたい時が時々ある。

むーってなってる事が、言葉とかじゃなくて、ただ会うだけで、ただ触るだけで、黒い氷が溶ける。

目、手、体温、声、息、匂い、鼓動、沈黙、空気。

言葉にするために、逆のアプローチを時々しないとバランス取れなくなっちゃうんだ。たぶん。言葉のことばかり考えて、「嘘つき!」って一人でなってるから。←自分に向けて。

でもなぁ。大人なんだから、もすこし、スマートになろう。論理的に。そっち側から、にじみ出るコミュニケーションを、アダルトにこなしたい。トークトゥトーク。人間だもの。みつを。←嫌い。

あぁ、遠い。遠いなぁ。どこに行っているのだ?自分。しっかりしてほしい。

もっと言葉とつなげよう。繋がってるけども、足りなかったり、喧嘩してたりすることがあるかもしんないから。いや、でも一生懸命精進したいと思います。頭悪いながらも。

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2007年4月16日 (月)

次元

なんとなく。
心は4次元になってしまって。現実は2次元でペラペラに生きる。
でも、欲しいのは3次元。
心はいつも整理がつかず混乱して吹き飛ばされる。形がわからないまま、見つからないところへ消えていくこともある。
私にとって、現実は奥行きのない2次元。
心を使わない方が楽な時も多い。

本当に生きたいのは3次元。みんなは3次元に生きているのかな。私は4次元と2次元を行き来しているだけのような気がしてくる。きちんと3次元に立つ事が出来ない。留まる事が出来ない。奥行きをもって心を安静に歩く事が出来ない。

心の中にある混沌を形に出来る術が欲しい。自分が立体的に立てる世界が欲しい。
時々、3次元的世界を見せてくれる人がいるから少し安心する事がある。少しだけつかまっていたいと思う。負担にならない程度に。

この世界には、もっともっと、先の次元に行っている人もいるかもしれない。5次元6次元・・・それはそれですごいな。見えないものも見えているだろう。頑張ってください。

小さい頃そんなパラレルワールドをよく考えていた。

1次元にも2次元にも4次元にも自分がいるって何かで読んだ。そしてその自分には会える事はないらしい。そっか。自分なのに会えないんか・・・。きっとそれぞれの次元で迷っている事だろう。

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2007年4月13日 (金)

クッキーの端から、ついジャムが溢れてしまったような優しい人。
隠してるけど、照れながらも優しいといい。つい、出ちゃった、みたいな。出しちゃった事にまた照れるみたいな。
そのジャムはおいしいくて、嬉しくなっちゃうんだ。
きっと、本体はもっとおいしい。でも、とっておく。

動力がある人。出来ないかもしれないことを、「出来ない」って言って、やる前から誰かにやらせるとか、投げるんじゃなくて、自分でやってみる人。失敗しても、それは見てるよ、って思う。
そこには動力があるから全然違うんだよ。結果が同じでも、伝わるものが違う。
やる前から、ただ、何か言葉だけで言ってる人って、よくわかんない。ひっくり返して、振ってやりたくなる。そこに何かあるの?ってさ。

言葉を発しなくても黙々と自分がするべき事をやっている人。それはとても強い存在感。ずっしりと重そうで、自分では動かせない。その感じが安心する。そんな背中を見ては、自分でも自分の世界を作ろうと思えるんだ。

そんな寡黙な魂が好きなんだけど・・・自分は遠い。出来てない。
ふらふら、どろどろ、ぐねぐね、うだうだしています。ぬぬぬぬぬ。

自分が好きな人間をイメージしてみる。自分が好きな人間に自分がなりたい。
自分が、「好きだな」と思う人になるのが目標。
特定の人がいるわけではないけど、少しずつ、一人一人の良さを、切っては貼り付けて、自分の目標の人形を作っている最中。

だから、結構、人間を観察しています。ひっそりと。

私は鳥です。


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2007年4月11日 (水)

いっぱい歩く

今日は普段の引きこもりを打破するかのごとくいっぱい歩きました。
Hさんのおかげで、ずんずん歩きました。むかむかしてると歩くの速いです。
●森美術館http://www.mori.art.museum/jp/index.html
 ギャラリーツアーがあって、偶然その時間だったので、初めてそんなもの受けてみる。なんと一人ぼっちで、マンツーマン。それもおかしかったです。でも、説明を受けると、知らなかったことがいっぱいで、「ほほう」と思いながら見た。今なら、ガイドできます。
日本も実は「笑い」を大切にしてきた民族だったんだね。「笑い」は守りの意味があって、埴輪が笑っているのは守っているんだってさ。八重歯や口唇裂の人は何か別の能力があったのではないかと言われていたのだってさ。ちゃんとそんな埴輪があんの。めんこい。
放屁合戦の絵巻があって、画期的でした。おならで戦うわけ。戦争もそれでいいじゃんとか思う。
寒山と拾得も気味悪いけどかわいいです。アイドル的存在だったらしい。汚いアイドルだな。こりゃ。
帰りに東京タワーを見る。雨で泣いてるよ。

●アートフェア東京2007http://www.artfairtokyo.com/
好きな作品も何点か。欲しければ買えます。でも、お金ないから買えません。

●エリオット・アーウィット写真展http://www.chanel-ginza.com/nexushall/elliott/
正当な、ザ・写真という感じ。絵になる。叙情的。物語があって。演出してるのか、自然なのかわかんないけど、奇跡的瞬間。いい気持ちの写真。見て良かった。シャネルビルの4階。静かでいい。シャネル5番の匂いもする。

●アップルストア銀座http://www.apple.com/jp/retail/ginza/week/20070408.html
これが目的でした。アニメーションいいな。地味な作業で。

出かけると充実した気になれていいものですね。
雨も人を静かにさせるので嫌いじゃないです。
水たまりに灯りが映って綺麗だし。逆の世界に行きたくなるよ。では、さようなら。


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ふと

今日、歩いてたら、どうしてもどうしても思い出されてしまう事があった。
まだ、純粋な看護学生の頃、患者さんの体を拭くのが主な仕事で。バイト先の病棟で、いつも私だけ、45歳くらいのHさんという患者さんに「昼休み早く来て体を拭いて。一人で来て。」って言われて、素直に行っていつも一人で拭いてたら、助手さんが気付いて、Hさんを怒ってくれた。
Hさんは、小児麻痺で手足が不自由だったので、実は、自慰行為の代わりに、学生である私の手を使っていたということだ。妙に「念入りに」なんて言うなぁ・・・と思っていた。しかも、いつも反応するからいやだった。だけど、患者さんだし、それらしい事を言って(ばい菌が入るからよく拭いてほしいみたいなことを)、かなり重点的にやらせていた。

あぁ、なぜ気付かないのだ、私も。アホか。今なら、絶対に、「気持ちはわかるけど、目的がちがう!」ときっぱりと言えるだろう。それが大人になるということだ。いや、そうか?違うか?

なんでか思い出した。Hさんも、結婚してたんだから、どうにかなるだろうよ。まったく。今なら、別料金をもらいたいくらいだ。大人だ、私。

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2007年4月 9日 (月)

17歳のカルテ

思春期の子供達を受け持ったとき、男子も女子も同じくらい受け持った。
圧倒的に私は、男の子が楽だった。男の子は単純でわかりやすい。
その反面、女の子は難しかったなぁ・・・。なんてしみじみ思い出してみる。あの子達ももう二十歳近いだろうな。ふふふ。恋とかしてっかな。してたら、相当回復しているわけだから、だといいな、と思う。

男の子は自分にとっての自己を確立していくが、女の子は相手あっての自己を探す生き物のようだ。

男の子は比較的、ひとり相撲していることが多い。壁にぶつかりこけて、落ち込んで、暴れて、時々バカになってみたり、また落ち込んでみたりしている。一人葛藤。見ていてもわかりやすいし、まっすぐに突進してくる。そして、子供だ。なんとなくだけど、本質は男の子の方が弱いんだなぁと感じる。

女の子は意外に強くてしたたか。複雑で大人っぽい。嘘も駆け引きも巧みだ。男の子も嘘はつくけど、すぐばれる。その点、女の子すごいなぁ。そこが魅力でもあるのかもしれないんだけど。生きる術なのだね。たぶん。まぁ、そんなことして、相手が自分をどれくらい心配してくれるかなんて見ちゃったりしてるわけだから、かわいいもんかもな。腹立つときもあるけど。
関係性の中で自己確立を目指すから、人の事ばかり気にしたり、嫉妬したり、噂が多い。それも自信のなさの表れだとは理解できるが。「○○ちゃんが、○○でぇ〜」とか言ってると「はぁ?」と思うが、グッと我慢。「うん、うん。そっか。」と付き合いつつも自分の軸をずらさないようにしないと、結構痛い目みます。

男の子はしかりやすかったけど、女の子はしかりにくかった。気使っちゃうというか。どう関わっていいかわかんないというか。

男の子はあまり言えなくて、女の子は逆に話を聴いて欲しいと思うようだ。一般的にもそうだよね。そこも全く違う。だから、男の子は、気が付いたら、すごく問題点がふくらんでいたりして、爆発していたり、混乱していたりする。女の子は小出しにするから、さざ波がずっと立っているような感じで。

未成年だから、親のとの関わりも必要で、男の子の親は話しやすかったけど、女の子の親は、同じく苦手で、難しかったかなぁ。

スタッフでも、女の子向きな人と男の子向きな人がいた。年齢もそれぞれ得意分野があって。小学生、中学生、高校生、19歳、20歳とあったかも。
私は、高校生、男子が波長が合うかな。距離感とか関わり方が。おおざっぱだから、女の子の細やかさに届かないし飛ばしてしまう。そこ反省点。

でも、どちらもそれぞれの良さとか、かわいさがあるしな。
もちろん、みんながそうなのではなくて、色んな子がいて、同じ子なんていなかったし、おおまかな男女差の印象としてなんだけど。
女の子や小さい子は苦手で難しいけど、まぁ、その魅力もあるし、もっとうまく付き合いたいなぁとは思う。

老若男女、それぞれの良さとか性質とかを看護師をやってる時、見ていたのかも知れないな。そしてどんな層の人にも、その中での個人のあまりの違いに驚いていた。同じ人など絶対にいない。
生き方によって人は変わる。死に方にも現れる。

自分はどうやって年をとるのか、死ぬのかなと、すごく考える。


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2007年4月 8日 (日)

原点回帰

好きな科は「産科」と「精神科」だった。あとは、外科。

「外科」は、わかりやすい。見えるし。そして、一応、良くなる為の入院で、こちら側としても、忙しくて、体は疲れるが気が楽だ。若いときはいいと思う。仕事もこなせば過ぎる。消化する仕事。看護師も医師もさばさばした感じの人が多い。

「産科」は、自然現象なので波があり、予期できない。動物的勘も必要。
人間が動物である事をひしひしと感じる場所だ。理性を纏っている人間がなりふり構わず動物に戻る姿は、結構カッコイイです。守るものがある母はなんて強く美しいのか。
生命の神秘みたいなものを感じるし、どんなに忙しくても、やっぱり「生」という強いエネルギーが取り巻いているので、「気」がいいというか。唯一病院でおめでたい場所。こちらも、忙しくても、好きだった。

外科と産科は、患者さんにとっても人生にとって、大きな出来事なので(手術もお産も)こちらが忙しくて覚えていなくても、患者さんは覚えていてくれることも多い。

「精神科」は、一番キャリアとしては長いが、ずっと解らないし、解らないままだ。というか、人間は「わからない」と言うことが限りなく解る。心の一番ヘビーな部分なので、なんとも言えない疲労感だ。ひきずりっぱなしだ。しかも、何が本当かわからなくなる。

産科と精神科は医療でも特殊な分野だと思うのだが、なぜ、惹かれるのかと言うと、対象である「新生児」と「精神病患者」にやはり、人間の原点を感じるからだと思う。
よく、迷ったとき、彼らに会うと、「人間ってこうだな」と、その原始的安心を感じることがあるのだ。弱者を見て安心するとかとは全然違う。むしろ、すごく尊敬する部分があるのだ。
新生児は、無条件に尊敬している。精神病患者は、えっと、その人の本質の性格によるけど。
あと、共通点は、かわいくておもしろい。とんちんかんでも憎めないというか。そして、まったく計算ができない。生きていくことにおいて。そういう生きにくさと引き替えに、素晴らしいものも持っている。そして、そんな事は、彼らはみじんも気付いていない。

両者とも、関わりには、かなり難しいものがある。意思疎通の困難、コミュニケーションの難しさ、自力で生きていけない、手がかかる、はっきり言って、頭に来ることもあるし、理不尽な言動にさらされることもある。こっちが翻弄される。
けれども、教わることが多かったりする。
自己やエゴ、防衛、言葉や技量を身につけて生きていく私たちを尻目に、こんなにも無防備でむき出しで、不器用な人間がいて、保護の手がないと、死んでしまうような弱い存在なのに、強い。
ただ生きることの大切さ、言葉でなく表現している事のすごさに、圧倒されるというか。

「生」を感じるのに、彼らは、私たちよりも「死」のすぐ隣で生きている。生きることが「死」に直結しているというか。私たちが生きる現実的生よりもっと深刻な場所に身を置いている。

彼らは、多くの言葉を持たないけれど、感覚が鋭く、不純物を通さないので、こちらが不機嫌だと、どんなに繕っても見破られるし、ついおかしくて笑うと共鳴して笑う。
いろんな事が、自分や組織の都合で判断しているように思えて、摂理なんてものは、実はどこにもないのかもなぁなんて、いいんだか悪いんだか、どうでもいっか〜なんて、4次元的カタルシスを感じることがあるのです。

時々、帰りたくなる時もあるなぁ。人間の匂いのする生暖かい「生」の部分へ。

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誰も知らない

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070406i315.htm

上記ニュースを見る。
このようなネグレクトを題材にした「誰も知らない」という映画は、私も好きなのだが、現実は非常に厳しい。ドラマになんてなったもんじゃない。救われないから。

この映画を見た当時、私は、このような被害者の子供に接する仕事だったので、心境は非常に複雑だった。この手の映画が持つ重苦しさと現実はもっと深刻かも・・・、という映画を通り越してしまう気持ちになって、席でしばし動けなくなったのを覚えている。(でも、監督も、映画という事を意識して、あえてギリギリラインで作った事はとても尊敬します)

この事件も映画も、もちろん一番悪いのは母親なのだが、紐解いて行くと、全てが被害者な事が多い。母親も、おそらく、複雑な環境に育ち、人に与える事を教わらずに生きてきたのだろう。しかも、ここに一切出てこない父親も相当悪いだろう。ってか、関与してないからもっと始末に悪い。

「一人じゃ寂しい」「なぜ、自分だけが苦労するのか」というだれもが抱きやすい感情。幼い頃から強くその思いに苛まれ、増殖し、しだいに現実を浸食し、「自分だけよければいい」という極端な自己愛に繋がり、判断を間違える。
人と比べ、自己で受け止める力もなく、水面上を転々と渡り歩くような人生。

事件をみるたびに、癖なのか、その当事者達の精神状態や想いまで考えてしまう。人間の恐ろしさや、愚かさ、自分の中にも全く無ではないであろう感情や、そうなってしまったことへの憤りなどで、いっぱいになる。

で、その後冷静になって、しかるべき処置とケアが成されるといいなぁと普通に思うのだけど。

愛情は愛情でしか育たないし、憎しみも憎しみを育てる。
作り物のなかで、人は強く、負の感情を断ち切っていくが、現実はそうじゃない。ほぼ、連鎖されていく。私が現実で目の当たりにしてきた現実はそうだった。
よほどの強い断ち切りの自己の力、受容する力、外部的愛情と包容力、忍耐が必要だ。押しつけても、甘やかしてもいけないし、同情でも乗り切れない。
同化し、自分も見失いがちな事も多いだろう。
人間に関ったり、育てるということはそれくらい大変な事だ。

だから、私は、人間が怖くもあるが同じくらい興味もある。
いや、人間に興味があるのではなく、人間の心に興味があるといったところ。

子供達は強くなってほしいと心から思う。

誰も知らない

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2007年4月 4日 (水)

花曇り

ムットーニのからくり書物。
ひとつ欲しくなる。
「どれがいい?」ってムットーニに聞かれたら、「宇宙のください」って言おう。
金平糖製造工場もいいな。

あぁ。この切手買えばよかった・・・。

http://www.setabun.or.jp/
http://setabun2.seesaa.net/ 
http://www.muttoni.net/

4

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鳴叫、 春だったね

Photo_63

一度だけ一緒に行った君の故郷。
桜はまだ蕾で少し肌寒かった。

君が生まれた街。
君の育った街。
君の匂い。
君の気配。

もし、時間が点のようなものならば、その点をつかんで、時間からも逃げてしまいたかった。
誰にも捕まらないところへ行きたかった。どこまでも、どこまでも。

桜の木の下で待ってた。来ない君を待ってた。いつまでも、いつまでも。

その間に何度も桜は咲いて、そして散った。

望みは叶わなかったけど、桜は毎年咲くんだね。

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太陽の塔

桜は不思議だ。綺麗なだけじゃなく少し変な気分になる。揺さぶられる。特に散る間際は一番美しい。

人々は寛容な桜の木の下で、本来あるべき人間の顔をしている。
子供達は走り回り、犬は昼寝。
桜はざわめき、春疾風に花弁を舞い散らせる。
木漏れ日は優しく揺れる。

桜の「生」「死」「歓」「哀」「別」「逢」「強さ」「儚さ」「美」「狂」一極二元の世界に引き込まれ、一瞬混乱して、突然涙が出る。
はっ!年・・・とりすぎてる・・・!!と自分に驚く。まぁ、いい。

人々は生きている。
花も木も。
空は青く遠い。
眩しい光。生。
時間は無限ではない。
自分が今、ここに生きていることが不思議で仕方ない。
でも、それでいいのだろう。たぶんは。

誰かに。
言葉でなく感じさせて欲しい。
たとえばそれに似ている。
時々、許されている瞬間を捉える。
まさにそんな景色だ。

帰りに「岡本太郎展」に寄る。「痛々しい腕」がいい。そのまま痛々しいけど。

太郎にまつわる1930〜50年代の日本書物が多く展示してあり、桜のこの季節には日本書物似合うなぁと思う。読んでない本沢山あるなぁ。読んでみたい。でも、読みにくそう。漢字とかカタカナ。印刷も薄いし。でも、この頃の戦後の復興期の強さが伝わってくるというか、今よりある意味刺激的な人々がいたんじゃないかなぁと思うような時代。

戦後の国ってのは、いつの時代も強い。精神が。目標があるし、意識が明確だから。

大変な時代であったのだろうけど、自分が生きてきた「なまぬるさ」を考えたら、もっと知りたいなぁとは思う。

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